読んだり書いたり

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ライター小花茉里のよしなしごと

レッスンサボり中のカポエイラだけど…

 最近更新してないと思ったら、ライター仕事がやや忙しくなり、そのままカポエイラのレッスンにご無沙汰に……。いけないいけない、と、技を忘れないように空き時間おうちで自主練をするようにしました。
 私が習った先生はDVDを出版されているので、レッスン休み中も先生のDVDで基本の立ち技を復習。
 その後、勉強したい事がどかっと増えまして、カポエイラの練習まで時間が取れなくなり、練習もご無沙汰になってましたが、ちょいちょいやっています。

 最近、ようやく一週間くらい自主練を続ける事が出来たので、恥ずかしながら成果を綴ろうかと。


1.むくみの減少

 私の食生活を含む生活習慣全般を捉えながらでないと一概に言えないのですが、自分の感想としてカポエイラの練習を一日10〜20分程度行うだけで、体のむくみが減少しました。私は寝起きに特に脚と指がむくみやすく、朝結婚指輪の入らない日がしばしば……。
 しかしカポエイラの練習は基本の動作「ジンガ」、基本の蹴り「メイア・ルーア・ジ・フレンチ(前方半月蹴り)」「ベンサオン(前方蹴り)」「ケイシャーダ」、基本の避け「エスキーバ」「ココリーニャ」を組み合わせて連続するだけで(ペアダンスのシャドウ練習に近いですね)、結構な運動量になりますし汗もよく出ます。私的には家庭内でランニング+全身運動が可能という便利極まりない認識ですが。
 これを行い、寝る前にストレッチをする生活を続けたところ、むくみが減って来ました。毎朝快適に指輪が指を通る!


2. 自宅で雨の日も運動量を確保できる

 カポエイラの基本の動きを自宅内で繰り返すだけで、本当にそれなりに運動量が確保できると思います。
 本当は床に手をべったり付いて、回転したり蹴ったり出来るスペースがある家ならもっと余裕で運動量を稼げるのだと思いますが、あいにく我が家ではアウーホレーといった床回転する技の練習がほぼ出来ません。
 ただ、ホレーはいいですね。腕の筋肉を鍛えてくれると思います。マッチョな腕をした女性に憧れる。女性が筋肉質になると、細い腕のシルエットが一層スタイリッシュで素敵。アイコンは先生。


カポエイラ 

「君となら」(1995) パルコ劇場 三谷幸喜脚本

 DVDで鑑賞。昭和の二階建て日本家屋の茶の間と縁側が舞台。家の表は理髪店で家の主人は店主であり、その長女の縁談が話の主題だ。
 歌舞伎にもあれば、オペラにもある「家族団欒の間」「そこで起こる娘の縁談」という王道の物語。
 前奏曲は洒落たジャズだったと思う。私は、三谷幸喜の魅力の一つはこの「西洋ドラマの現代日本置き換え」だと思っている。背後の文脈は全く違うが、父母姉妹の家族構成と姉に群がる求婚者たち、そして妹の活躍と妹の縁談、というところで、私はオペラ『アラベラ』を少しだけイメージした。いつ娘、母親、父親、求婚者たちが、それぞれのアリアを歌い始めても違和感がない。オペラはここまで複雑な嘘の交錯を表現するのに適していないし、嘘の複雑性が本作の面白味でもある以上、むやみにオペラに絡めるのは不適切そのものではある。そこはこの解釈かなりの難がある。
 ただ、『王様のレストラン』で私は三谷幸喜の「欧米文化の日本化」の巧みさが好きだと思った。そのまま欧米の模倣を行うのでなく、日本の作品として現代日本人に馴染よく翻訳していくところが好きだ。そこに日本を相対的に見つめる批評性もあると思う。そういう意味で、『王様のレストラン』が弁慶と義経を中心とした源氏再興をモチーフとしながら、同時にパリのフレンチレストランの文化を日本流に変化させ日本に定着させて店の再建を成功させているように思うのだ(ただどんなレストランになったのかは曖昧にしか描かれないのだが)。異文化の翻訳とそこに出現する批評性。そこに知的な面白さと、喜劇的な面白さも同居しているように思う。
 『君となら』のモチーフになりえそうな欧米の作品を適切に挙げられなくて自分の力不足を実感するが、三谷さんのお好きなビリー・ワイルダーの鑑賞も進めつつ、探してみたいと思う。

 

wakana.hatenablog.jp

 

三谷幸喜 ♯演劇 

『王様のレストラン』(1995)全11話 三谷幸喜脚本

真田丸』以降三谷幸喜脚本に注目しており、この連休は氏の代表作といわれるテレビドラマ『王様のレストラン』を視聴した。
あとで振り返ったら、24歳の年若い九郎義経が年の離れた生き別れの異母兄の元へ弁慶(松本白鸚)を連れて源氏再興(父親のレストラン再建)にやって来る清和源氏の物語だった。(そういう意味ではドラマは壇ノ浦で終わっている。ちなみに平氏は出て来ない)
そう見るのが王道と思うが、私はこのドラマをバブル期にパリの模倣として日本で開業した高級フランス料理店が、バブル期崩壊後に以下に日本文化と混じり合って土着化し常態化する物語かと観てしまった。
フランスの「本物」を知っているのは「伝説のギャルソン」と呼ばれ技能もプライドも一流の千石武(松本白鸚)と、バブル期の高級フレンチによくいたと噂される偉そうなソムリエを体現したような大庭という人物かと思う。また、この二役は当時の流行作家のエッセイで活写されているように、高級フランス料理店の象徴的な店員像だったのではないか。
物語の始まりでは、パリ模倣のスタイルをそれなりに保とうとする舞台となるレストラン「ベル・エキップ」だが、再建の過程でどんどん日本的な大衆性に寄って行く。具体的にそこは書かれてはいないのだが、新オーナーの禄郎(義経ポジション)の元で従業員が成長し結束していく姿はいかにも日本の情緒的な繋がり方だ。そんな彼らに「パリ模倣スタイル」が貫けるとは思えない。何かと言えば敗者を見捨てずに連帯を続けていく判官贔屓の雰囲気が強い。そんな中で「パリの模倣」派の先鋭だった千石武は一度レストランを去る。彼から離れたところで「ベル・エキップ」は次世代のあり方として自分達の個性を伸ばして力を付けて行く必要もあったのだろう。そして千石と再合流し、全員でまだ見ぬ新たな「一流店」を模索して行く。そして彼らの行き着いた先は、高級フランス料理店に通える層が薄くなった今の日本で生き残る、カジュアル・フレンチのスタイルなのではないだろうか。そこまでの変化の過程が描かれていたと私は思った。

私は三谷幸喜の『12人の優しい日本人』(映画版)が好きだ。ネタ元である『12人の怒れる男』と比較すると、同胞だけに三谷版で描かれる日本人の正義よりも曖昧さを求める姿勢が続く前半に笑いどころか真底うんざりするが。しかしそんな不正義から、たまたまで物事好転する展開に驚きを感じる。こんな変な民族性からも良い事が生まれる。人間も人間の文化も不思議なものだ。物事一概に言えないものだ、という。理解できない好ましくないものから、良いものが生まれて他者の存在を肯定できるようになる。これはいいことだと思っている。そういう意味でもこの作品が好きだ。

 

 

fod.fujitv.co.jp

 

 

 

御茶ノ水満喫

 久々に御茶ノ水へ行き、ランチは「トラットリアレモン」、午後から明治大学でとある発表を拝聴し、タンゴ喫茶「ミロンガヌォーバ」でアルゼンチンタンゴの名曲を聴きながらお茶とケーキ、その後、神保町古書店街で本を眺めたい誘惑に打ち勝って雑貨店を巡って雑貨の誘惑に負けて買い物。やっぱりアルゼンチンタンゴは素敵。タンゴでしか聴けない世界観ある。
 いやいや御茶ノ水満喫した。やっぱり御茶ノ水〜神保町のあたりはいいな。カフェもいいよね。
 なかなか平日は来れないけど、土曜日も入れる書店がそこそこあるなら、また散策しに来たいな。

 

 ちなみに発表はこれ。
合評会 貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(岩波書店 2018年)

 学術書の執筆がメインの歴史学者貴堂さんが、ついに誰でもアクセスしやすい新書を上梓。学部1年生の夏の課題図書になっていたり、内容の確かさと充実度の高さは折り紙付き。「西欧から見たアメリカの建国史」という従来の視座を離れ、西海岸からアメリカへ入国したアジア系の人々の視点から見えるアメリカ史となっている。あまり知られなかったアメリカの姿から現代の日本の問題に繋がる知見が得られます。
 実は市民講座で貴堂さんの講座を受講するか迷って、都合により受講出来なかったので今回この合評会を知ってこちらは聴講したいと思ったのでした。

 

夕顔ともののけ /『源氏物語』

昨日の源氏講座で『源氏』の和歌の事を少し思い出した。
主に平安前期に、和歌にかかわる短い物語を集めた「歌物語」という形式がある。代表的なものは『伊勢物語』『大和物語』。ただ、私は後者を読んだことがない。
『伊勢』を例にすると、和歌は、和歌単体で鑑賞する場合に対し、それがどんな流れの中でどのように詠まれたかを含んでとらえると存在意義が変わってしまう。状況に対して即興的に詠まれるものが和歌ならば、それはそうなるのだろう。

『源氏』にも頻繁に歌は出て来るが、私はそのほとんどを覚えていない。しかし一首思い出したものがある。

夕顔の「心あてに」。

心あてに それかとぞ見る 白露の
  光添へたる 夕顔の花

たいへん率直な歌で、内容の示すところは身も蓋もない。
「もしやあなたはあの有名な輝くばかりの貴公子様ではありませんか?」
というような事を呼びかけている。
古今集から本歌取りしているらしく、技巧は格調高いが示す意は極めて即物的だ。私には粉飾上手の一例にしかおもえない歌だが。

当時、男性から女性に歌を送ることはあっても、最初のきっかけが女性からというのは珍しい。しかも明らかにこの女性は送り先の光源氏に興味を示している。

調べずに語って申し訳ないが、この時の夕顔の行動にはもう一つ理由が考えられる。夕顔は元の夫である頭の中将の側室だったが、正室から激しい嫌がらせを受けて姿を消している。手元には頭の中将の娘もおり、男主のない夕顔の家は隠れ住まいで苦労していたはずなのだ。だから、立派な身なりの貴公子が訪れ我が家の花を望まれたと聞き、夕顔はそれを頭の中将と誤解し「私はここにいます」と伝えたのではないか。確か誰かがその説を言っていた。原文がどうなっているかは調べて切れていない。

頭の中将と誤解して和歌を歌ったなら「内気」と評される夕顔の人物像もわからなくはない。そこは思い切りよく呼び掛けて当然の場面だと思う。

ところが、そうだとしても、その後の夕顔の行動はとても不思議だ。
夕顔に興味を持った光源氏は、その後、夕顔と昵懇になる。
頭の中将は訪れず、それは母親でもある夕顔の選択として有効だろうが、この時の光源氏は夕顔に対して顔も身分も隠しているという気味の悪い男なのだ。よく平気だったな、というのが私の偽りのない感想である。
また、夕顔は光源氏に寂れた某院なる怪しげな場所に連れられ、怖いと思いながらも断らずに付いて行き、そこで生き霊にとり殺されて死んでしまう。

夕顔は人間なんだろうか。

夕顔は六条の御息所らしき生き霊に殺されているが、むしろここでとり殺される寸前だったのは光源氏では。夕顔へののめり込みぶりといい、夕顔はあまりにも謎めいた人物である。
六条セコムが光源氏を助けたのではないかと邪推したくなる。

この不思議な話のきっかけが、女の方から男に書いて送った歌という珍しい和歌なのだから、和歌にまつわるエピソードとしてそれはとても面白い。

——

余談だが、男の人が自分以外の女性に浮気しているときに「その女はダメ」などと危険信号を発する女性は大体悪役である。六条の御息所はその最右翼として嫌われがちだが、「夕顔」が『雨月物語』的な物の怪物語だとしたら、光源氏は命を助けられたわけだよ。
とはいえ六条の御息所を褒められた人物として書かないのも、この物語の作者の手厳しいところであり、意地が悪くて良い作者だと思う。

 

#源氏物語

能楽鑑賞体験

能楽堂は行ったことがあり、狂言もちらっと見た事があるような記憶もあるけど、能楽は完全に初めてだった。

薪能だとかイベント性が強くて楽しそうなのもあるし。

ぶっちゃけ歌舞伎はいい演目いくつか観たにもかかわらず、あんまり好きじゃなかった。脚本が特に。人情物が痛くて。

 

もしかしたら能も似たような脚本があるのかもしれないけど、歌舞伎より一層観念的な表現のようなので物語もあってないようなものかもしれない。もうそのくらいでいいんです。オペラやバレエ級にストーリーは簡単で十分だよ!

 

初めて観たけどこれハマりそう。

その観念的で抽象的なものを具現化表現しているところがすごくいいね。しかも一定の形式の中で表現しようとしているところが楽器のようだよ。面白い。

 

2019年GWの記録

2019.4.27(土)

  連休初日。当初から混雑の見込まれる大型連休は出掛けず、引きこもって勉強する予定だった。積んでる新書をチラチラ読みながら過ごす。サークルの事務連絡あれこれやったり余裕来いてたら思いのほか読書がはかどらず焦る。

  あれも読めるこれも読めると興奮して『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』やらユダヤうんたらの新書と文庫色々とか手当たり次第開いてチラ読みして興奮する。どれも読み切れる気がしないが。

 

 

正義とは何か 現代政治哲学の6つの視点 (中公新書)
 

 

しばらく読んだ。フェミニズムだけ多少予習していたのでそこは割と読めたが、初めて読むロールズなどかなり難しく感じた。今他に読みたいテーマがあるため首っ引きで読む余裕がないので、折角勧めてもらったけど一旦返そうと決意する。

 

2019.4.28(日)

  遊びに行かないと言った矢先に阿佐ヶ谷ラピュタへ映画鑑賞へ。中村錦之助主演『関の弥太っぺ』 を観る。江戸時代のやくざ者映画だが、なかなか面白かった。夜はGionへ。

movie.walkerplus.com

 

2019.4.29(月)

  あまり読書が進んでいないので、心を改めて読書を進める。

  『フランケンシュタイン』(青空文庫)読了

www.aozora.gr.jp

 

2019.4.30(火)

 国立新美術館『トルコの至宝展』へ。オスマン帝国の至宝の展示が主だったんだけど、ここから「意匠が中国要素あり? あれ、オスマン帝国の交易と美術の特徴は? この時の中国は?」と何も知らない事に気付き、時間もあるしとうっかりイスラーム史の勉強を始めてしまう。

www.nact.jp

 

2019.5.1(水)

  出勤日。

 

2019.5.2(木)

  田山花袋『布団』(青空文庫)読了。

  私は心底男性に冷たいと思った。美人への憧憬を聞くだけでキレる。美人への憧憬には相反して非美人への蔑視が表裏になっていると感じてしまうからだけど。もっと寛容になりたい。

 

  高校世界史のイスラーム単元を開いたら単語が長くて馴染みが覚えられなくて泣きそう。おまけにちょっと進んだら王朝が乱れ咲いてて死にそう。完全にしくじった。でも、その内本命の欧州史で絡んで来てためになるって信じてる……!

   しかしこのへん頭に入って来たら、新書のイスラームの基礎知識がだいぶ頭に入りやすくなって来た。勉強すると効果はあると確信して自分を励ます。

 こんなに何も進まないのに散歩に行ったらうっかり古本屋に吸い込まれて『ボヴァリー夫人』『ゲーテ詩集』を買ってしまう。

 

2019.5.3(金)

   イスラーム史勉強がなかなか進まない。中学英語のおさらいも始めた。進まない。積んでいたプラトンの『饗宴』も読み始める。進まない。

 『フランケンシュタイン』がかなり私の心に食い込んで来ており、廣野由美子先生の「100分de名著 『フランケンシュタイン』」の録画をフル再生。『批評理論入門』も読み返す。しかし廣野先生のメイン研究はブロンテ姉妹やオースティンなのかな……。シェリー夫人をメインでやる研究者ってあまりいないのだろうか。

ところで『批評理論入門』に、脱構築批評が。おっと、デリダのお勉強忘れているぞ。

   市民講座でデリダ入門取っちゃったのに、デリダの勉強が全然進んでいない。とりあえず新潮の『デリダ 脱構築と正義』を読みつつ、ソフトカバーの哲学入門解説書みたいなのを併読書として喫茶店に行く。念願だった喫茶店読書をキメた。幸せだった。

 

 

デリダ 脱構築と正義 (講談社学術文庫)

デリダ 脱構築と正義 (講談社学術文庫)

 

 

 

2019.5.4(土)

  こんなやってるけど、今月末はアーレントの『暗い時代の人々』の読書会もある。読み終えられるのだろうか。がんばれ。

  昼まで英語の勉強して、午後から早稲田松竹アラン・ロブ=グリエの映画二本立て。『エデン、その後』『快楽の斬新的横滑り』。夕ご飯は早稲田のスペインバルで。

 

2019.5.5(日)

  あれ、もう後残り2日? 朝からイスラーム史のまとめノートを作り、午後、 慌てて『饗宴』を読む。プラトンの著書の中では短いし入りやすいと思うけど、ゼロから状況を理解するのなかなか骨だわ。

  『饗宴』の情報を追っていて腹立たしい記事を見てしまう。これは一回脱構築されたほうがいいかもしれんなどとよくわからない浮かれ方をして、プラトン脱構築してフランス全土(学術界)を敵に回したデリダの勉強に力を入れる。しかしどんなに力を入れてもすぐにわかるものではないよね。それはそうだよ。それで普通だと自分を鼓舞する。なんでもすぐわかったような気にさせる解説するメディアがにくい。プラトンでそれやった〇〇が腹立たしい。

 

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

 

 

2019.5.6(月)

 ついにGW最終日である。明日から会社だと思うと一日鬱だった。しかも今日、文学フリマか。思い切って7日も休暇とって6日を遊び倒す日程にしたらよかった。

 文学フリマは結局行っていない。欲しい本は事前通販と人に買って来てもらって済んだし。

 しかし文学フリマすごいな。参加している人達がハイレベルですごい。かつて「自分と同じ空間に存在するのだろうか」とこの世のものとは思えなかったつわものの読み手書き手がごろごろと。しかも知識で殴らない系の。アンチ・マッチョタイプの。

 知識マッチョとだけはもう関わりたくない。それがいやで一人読書をずっとしていたのだ。

 まあまたそんな話は改めて。

 この日は具合も悪く、ほとんど1日寝ていた。勉強もあまり進まなかった。前日に読んだ『饗宴』の衝撃も強く、『饗宴』について考えるので精一杯。こんなに優れたギリシア哲学を、イスラームの学者は後年更に研究を進めたと聞けば、イスラーム史ももっと頑張って勉強せねばと励みになる。

 しかし具合が悪くて思うように作業が出来ない。心残りはアウトプットがあまりに少ない休暇だった事。もうすっかり放置状態のnoteに何か投稿しようと思いつくままに書き続ける。最初は「何故noteに書きたい記事がないのか」について書いていたらそのまま13,000字になった。しかし本当に単なる散文である。読み物としてもう少しなんとか成形出来ないかこねくり回してみようかな。

 

 ところで、私は国学者で唯一好きなのは上田秋成なんだけど。ウィキペディア読んだら上田を「ソフィスト」を見ている論者がいると知った。その後に『饗宴』読んだら本当にひどい悪口だわと感じる。もう日本文学に費やす時間はできるだけ減らしたいのだけど、上田秋成を追いたいなら本居宣長の事も知らなければならなくなるのかね。とほほ。私の今後の人生の残り時間、どう使って行こう。

 

bunfree.net