読んだり書いたり

読んだり書いたり

ライター白山羊ひつじのよしなしごと

2018.9.18tue~9.23sun

9月18日(火)
 迫りくるアーレント読書会の日程に怯える。物事が手に付かない。小心者。
 そして昨日のカポエイラの練習で痛めた内ももの筋は動かすと痛む。
 部活で運動をやった事もなく、怪我事態ほとんどした事がないので、スポーツで体を痛めたときに、なにはやばくて何は自然治癒待ちで良いのか勘が働かないのであった。

 


9月19日(水)
 明日に迫ったアーレント読書会の日程に怯える。前期に習った事全部忘れてそうで恐ろしい。そんなときに一番読みやすかった矢野久美子の『「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 』(中公新書)を家の中でロストしてしまう。ふ、復習……。

 


9月20日(木)
 ついにアーレント読書会の開催日である。これは何かというと、前期に市民講座でハンナ・アーレント入門講座を受け持った先生に、夏休み後の我々の復習の機会を設けてもらえるようお願いした集まりなのである。
 夏休みは前期の復習に費やすはずが、結局ペアダンスとカポエイラで過ごしてしまい、ここしばらく頭の中までカポエイラになっていた。戦前のドイツ帝国の事を完全に忘れている。付け焼き場の知識の脆さを痛感するのであった。
 私的に呼び掛けた参加者の方々&先生へのもてなしのつもりで、二次会も企画する。呼び掛けた参加者の皆さんは皆真面目に前期の課題図書を読んで集まったので、話が弾む。しかし先生にとってなんらかいい時間になりえたのかは不明である。

 大体、何かしら講座があると、その後は先生を囲んでお茶会したりお酒飲んだりしているようだけども。

 

9月21日(金)
 仕事で許しがたい非道の話を聞いて、物事が手に付かない。
 そんな気持ちで源氏物語の市民講座に行く。文学の読み方のレクチャーを受け、癒される。知性がもたらす物事の構造や創造の面白さは、憂き世の憂さを雲散霧消させてくれる。

 

 

9月22日(土)
 癒しの三連休初日。疲れ切って寝ていた。
 北条かや『キャバ嬢の社会学』に関する批評を4年遅れで見聞きする。よく考えたらペアダンスも「男装/女装」して臨むもののように思う。男装者の中身が男でも女でも、想像上の架空の「男性」を装って演じ踊るのがペアダンスではないだろうか。ジェンダー的な「男」も「女」も架空の存在である。架空であるにも関わらず、それが時に「男」や「女」を性の対象とする者にとって、強烈に魅力的となるのは不思議な事だ。プリミティブな生まれながらの男や女では、魅力がいまひとつなのだろうか。これは、例えば独学で歌うよりも、体系的な理論から生まれたメソッドを持つ声楽で歌を歌う練習をして身に付く歌の魅力と同じようなものとみてもいいのか。

 

 

9月23日(日)
 国立の一橋大学で開催されていた「哲学で経済を語る」を聴講しに行く。
 ジャン=ピエール・デュピュイというフランスの思想家の講演会。フランス哲学の西谷修さんの講演もあった。今は経済は世界の基軸のごとき秩序となり、経済以外の価値観を駆逐していく。関空の水没や北海道のブラックアウトと合わせて語られており、面白い話だった。
 経済学難しいよね。先生が一杯いて、それぞれ違う事を言うのだもの。

 

 

 アーレント読書会で喝をもらった気分で、ベンヤミン講座の予習復習にも気合を込める。帰宅前に久々にカフェ読書をした。なんとなく長居しづらくて45分位で出る。