読んだり書いたり

読んだり書いたり

ライター白山羊ひつじのよしなしごと

2018.9.24mon~9.30sun


9月24日(月・祝日)
 図書館の参考図書室に行く。先日にアーレント読書会で教わった哲学事典を探しに行く。
前は無作為に探していたけど、捜索ガイドを頂けると自分の調べ物のの方向性も定まるし、今自分が何をしているのかもわかって来るし、学習がはかどる気がする。


9月25日(火)
 月曜にいくつか借りて来た社交ダンスのCDを聴く。iTunesのジャンルには「JAZZ」と表示されるのだけど、社交ダンスのスタンダード曲は広義のジャズに含まれるのだろうか。
 私は社交ダンスの踊りはどれも好きなのだけど、カウントの練習動画でなく、昭和から受け継がれたジャズ曲で聴くとなんだか古めかしいものを眺めている気がしてしまう。レトロ趣味とも違って、なんというか、ださい。
 教室のレッスンで聴くダンス曲は素敵なんだけど、自分で無作為に選ぶと社交ダンス曲はどうも……。
 私としては、もっと社交ダンスに近付きた。しかいs、ダンスは習い始めなのでダンスよりも音楽に馴染みが多い。ダンスよりも音楽の好き嫌いがはっきりしている。すると、嫌いな曲で踊りたいとは思えない。出来れば自分にとっていいと思う曲で踊りたい。

 詳しい人に教えてもらえると、社交ダンス曲も素敵なので、そういう曲を教えてくれるWEBがあればありがたいのだけども。


9月26日(水)
 雨。気分が乗っているので、また図書館へ。
 苦戦しているヴァルター・ベンヤミンの著書だが私はベンヤミンに少し親近感が沸き、そういう感情を得る事で著作に馴染めるのではないかと考える私のような人間は、この気持ちの続く内にもう一度ベンヤミンの著書に触れたかった。
 ベンヤミンと言う人は、私の理解限りでは、生まれ育った場所での幼年期の幸福に重きを置いているようだった。そしてベルリンの中産階級ブルジョアジー)である身の上にも意義を見出している。彼は生まれ育ったベルリンという都市を愛し、第一次世界大戦の戦火にも負けず彼は社会の変化に対して圧倒的劣勢な「中産階級=市民」で居続ける事を貫く決意をした。
 まだ私にはよくわからないが、ベンヤミンは生まれ故郷のベルリンに居続けた。彼がベルリンという都市について論じているのかまだ知らないが、パリに移住した時に彼はパリのパサージュ(商店街)を論じている。一体なんでベンヤミンはパリの商店街を論じようと思ったのだろう。パリのパサージュの何を書こうと思ったのだろう。一体何がベンヤミンの心にそれを論じようと思わせたのだろう。
 ベンヤミンの心などわかる訳がないのだが、ベンヤミンがパリのパサージュの何を目に留めて論じたのか知りたくなった。


9月27日(木)
 アルゼンチンタンゴのレッスン半月ぶり。なんということだ。
 今日は初めて男性の参加者がいた。その方を含めて初めて一緒に練習する人が+2人。計6人でレッスンを受けた。
 初めてグループレッスンを楽しく思えた。これまでは「こんな下手糞の相手で申し訳ない」と申し訳なさばかりが先に立っていたが、なんだか今日は楽しかった。
 色んな人と踊るのがサロンタンゴであり、色んな人と知り合うのがサロンタンゴだからなんだろうか。入門コースなので今日の動きはサリーダだった。サリーダを5人と入れ替わりで組んで踊る。男も女もリード役もフォロー役もやる。色んなサリーダがそこにはある。その中で、一人一人違ったサリーダを踊る。その全てが、その人と私の対話だった。その人と知り合うコミュニケーションだった。その中で、好きだと思う人、なかなか分かり合うのは難しいかも知れないと感じる人、いろいろいた。でも、分かり合えたらいいなと思った。その「出来ない事の壁を越えたい」という思いを持った事が幸せだった。

 タンゴの後はカポエイラ。先週木曜は休みだったので一週間ちょっと空いてしまった。
 カポエイラもいよいよ7回目。初めて2か月目に突入だ。
 今日はいつも一緒にレッスンを受けているAちゃんがお休みだった。そして代わりに初心者のBくんとビギナーペアであれこれレッスン。レッスンに行くたびに何事も超下手糞だなと自分の無力を思い知るのだけど、そして下手糞の立場で集団の中にいるのは辛いのだけど、でも、まあそれも良いよねと思う。卑屈にならずに私は私で行こうと思う。先生は私が下手くそな分、練習しているのに気付いてみていてくれる。

 ちなみにタンゴと同じでカポエイラもコミュニケーションだ。ジョーゴという組手があるから。
 私は前に、海外出身者の人がビギナーの私をジョーゴに誘ってくれているのをそうと気付かず、結果的に無視してしまった事があった。些細な事だけど、私がそれをされたら傷付くよという点から気にしていた。なんとか、「すまん、言葉がわからなかったのだ」と伝えたい、というか、私は無神経で馬鹿ですが反省して気を付けるのでまたジョーゴして下さいと伝えたかった。こっちから話し掛けて、もしかしたら少しコミュニケーション取れたかも。練習仲間になれるとよいなあ。


9月28日(金)
 今日も雨。カポエイラは7回目くらいだけど、毎回まだ筋肉痛になる。毎回新しい動きを習うからだろうか。この筋肉痛が快感なんだよね、カポエイラは。


9月29日(土)
 体調を崩してグロッキーだった。自分的に難易度の高い事は何も考えられず、YouTubeで婚活KOKOの動画をあれこれ観てしまう。ある動画でお見合い婚を推奨していた。わかる。結婚相手を探しているときは、自分の好みにこだわるのは結婚と言う目的を遠ざける。婚活というのは、自分の偏見に満ちた恋愛相手の好みをぶち壊して幸せを獲得する行為だ。
 私思うに、自分は自分の人生に良いパートナーがどんな人物かを案外わからないものなのではないか。私がそうだったからだけど。というのは、恋をしてワクワクドキドキ楽しくてたまらない相手と、長年生活して頼りになる相手は違うからでは。恋の出来ない相手と一緒に暮らすのは不可能、という見方もあろうが、相手を思いやりながら一緒に暮らせる人同士なら、二人の生活には愛情が芽生えるんじゃないだろうか。


9月30日(日曜)
 台風が来た。都内のスポーツジムに行こうと思ってたけど家にいた。
 そして婚活KOKOの動画を観てしまう。
 この動画ではカウンセラーの工藤恵子さんという方がビシバシと婚活女性が成婚するために必要な事を指導している。そこから見えて来るのは、日本人女性の弱い点。「自己主張出来ない」「自分の意見を言わない」「受け身」「イケメンに弱すぎる」「強引な男性に巻き取られてしまう」。こうではない日本人女性もいる。しかしこの傾向の女性は本当に多いと実感する。私この要素、半分くらいは社会が女性に幼い頃から「そういう女になれ」と求めた結果のように思う。そういう社会の要求に従順でないと叩かれるのが日本社会ではないか。過剰に空気を読むように求められ、より空気を読む事を良い事だと叩き込まれるのが我々日本人の生きている環境だから。