読んだり書いたり

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ライター白山羊ひつじのよしなしごと

2018.10.15mon~10.28sun

10月15日(月)
 夫、社交ダンスデビュー。ありがダンススタジオ様の大サービス体験企画で一緒にジルバを踊る。夫は前日に予習したとはいえ、ステップの覚えが早い。私より格段に早い。く、悔しい。夫と踊って心からダンスを楽しいと思う。ダンス自体の楽しさは先生が一緒に踊って下さる時の方が格段なのだけど、プロの方にリードしてもらう場合でなく、素人同士で踊る場合のソシアルダンスの楽しさについて。こうして心を開いて気を許している相手と一緒に踊れる楽しさ。いいなあ。


10月16日(火)
 まさかのゲーテのブームが来てしまう。
 もうすぐ安部公房読書会(10/26土)なので、課題本の初期短編集『水中都市・デンドロカカリヤ』を読まねばならないのに。
 しかも90年代生まれの人が『ドラゴンボール』を面白くないとくさしているブログをTwitterの話題で拾ってしまい、そっちを熱心に考えているという。振り返ると私は気力を要するお勉強を棚上げして野次と文句に熱中しているようだ。実に愚かである。

 

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10月17日(水)
 野木亜紀子脚本『獣になれない私たち』の第一話を遅れて観た。更に第ニ話でヒロイン晶の恋人の京谷という男が4年間同棲していた元カノを飼っていた事が明らかになった。熱心に叩いた。燃えて来た。しかし『アンナチュラル』で私がドはまりした野木脚本に求めるポイントは今回はちょっと違うかも。


10月18日(木)
 悪夢(巨大なめ××の群れに遭遇)に目を覚ます。以後、眠れないまま朝。つらい。
 カポエイラに行った。


10月19日(金)
 市民講座『宇治十帖を読む』。「匂宮は薫が『清廉かつ求道的な私』を保ちつつ惑うための隠れ蓑」という存在意義に目鱗。確かに薫がわざわざ匂宮を宇治通いに巻き込んだのは不思議だった。単に匂宮に自慢して「おまえも目が高いね。よく見つけたな」と言わせたいからかと思ってた。そういうんじゃなかった。毎回小説の読み方を丁寧に教わっている。
 講座の受講者の方との話の流れでジェーン・オースティンを擁護してしまい、ものすごいオースティンファンかのような認識をされ、あとで「すまないね」みたいな事を言われてしまった。いや私はむしろあまりオースティンを評価してないです(と、伝えたつもりだったが)。ただ、いいと思っているところもあるので、納得の行かない批判には折れたくなかっただけで。むー。自分の気持ちを伝えるの難しい。


10月20日(土)
 アールデコの面影を持つフランク・ロイド設計の明日学園自由館にて、ルネサンス時代の宮廷音楽を舞踊付きで鑑賞。演劇的要素のある舞踊で、とても面白かった。リュートが聴けて嬉しい。


10月21日(日)
 体調がいよいよ悪くなった。


10月22日(月)
 ものすごく体調が悪い。市民講座休む。つらい。


10月23日(火)
 じょじょに回復。


10月24日(水)
 体調を崩している間、夫が料理してくれたので、回復した暁に頑張って料理する。久々にニース風サラダとブイヤベース風スープを作る。物々しいが「風」なので全て簡単料理だ。


10月25日(木)
 インフルエンザの予防接種を受けて弱る。
 弱るので余計な事を考えてしまう。最近、弱い立場の人がいじめられているのをゆるしてはいけないとお節介を焼いた。こういうとき、「その人のためにした」と思ってはいけなくて、「私は自分の良心に従いたかった。従えて良かった」と考えて終わりたいと考えている。でも、最近、その割り切りが下手だ。というか、その割り切りを忘れかけていた。


10月26日(金)
 安部公房読書会の課題本『水中都市・デンドロカカリヤ』が全く読めていない。どうも気が進まない。気が進まないと本当に読めなくなる。子供か。


10月27日(土)
 安部公房『水中都市・デンドロカカリヤ』読書会の日。読み切れなくて大幅に遅刻。しかし皆さんの話を聞いていると、私が詠めてませんでしたすみません、という素直な気持ちになる。皆で読む場のありがたさ。


10月28日(日)
 世田谷文学館へ『筒井康隆展』を観に行く。
 改めてその業績の膨大さ、作風の多様に驚く。こんな巨人的作家はもうなかなか現れないかもしれない。


 ゲーテの『親和力』を読み始める。『希望名人ゲーテ×絶望名人カフカ 文豪の名言対決』で予習しておいてよかった。ゲーテの博識と多芸に裏打ちされた豊かな内容に楽しませてもらう。一日100ページ読めば4日で読了出来る計算だがさて如何に。

 ところで本好きゲーテ好きの人に「『親和力』読みましたか?」と聞いたら読んでないらしい。主著ではないのか。

 

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