読んだり書いたり

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ライター白山羊ひつじのよしなしごと

いまどきの遠隔取材

久々の電話取材だった。

3年前位はスマホを受話器のように首に引っ掛けて変な姿勢で電話取材をしてたけど、時を経て久々にやったらイヤホンとスマホ机置きで喋ってメモを取りながら15分超が楽々過ぎた。録音もスマホに自動的に出来るし。

そして相手も通話機壁掛けで、マイクとスピーカーで作業しながら応答してくれているようだ。なんて便利な。

もうそのうち取材もスカイプで済むのでは。そのへんカメラ回して下さい、で、写真も撮れたり。

10年位前に10歳位年上の人が、メールで送ればいいものをわざわざ喫茶店に相手を呼び出して駄弁りながら渡そうとしていて「メールで頼む」と断られていた。
そうやって顔を合わせるから繋がりが強まって、次にも繋がる、と、そういう人は言いたいんだろうけど、仕事がまともだったら次の縁は来るでしょ、と、私は冷めた目で見ていた。

今や私が「直接訪問しないと、相手もテンション上がらないよね」と言って冷たい目で見られる側なんだろうか。

去年高額商材セールスの若い人とうっかりスカイプで話してしまった時(皆、気を付けろ!)、そういえばその人も「いまどき打ち合わせはスカイプ。直接会いません、必要ありません」なんて言ってたな。うーん。

そのそっけなさで思い出すのは、やはり10年前に読んだ風俗嬢のルポ。「夜の商売人の縁の切り方は堅気の人が思っているよりずっと軽い。着信拒否して終わり」という一文があった。今や堅気もよくわからない人の連絡先を手帳に増やし、そして削除ボタンで軽々縁を切っていく。ネットで軽く繋がって、軽く切れて行く。似てる。

ただ、大きく違うのは、多分水商売の人達は消えて行った人を追う事があまりないということ。堅気だと、軽く繋がって軽く切ったつもりが、なかなかそうもね、いかないよね。人の心は。若い世代だって。

何が正解なのかな。わからないな。ただ、ブラウザの向こうにもスカイプの向こうにも、電話の向こうにも生身も人間がいる。そして向こうが提示してくるものを観るだけならともかく、こちらからアクセスすることは、生身の人間に触れている事に変わりはないんだよね。