読んだり書いたり

読んだり書いたり

ライター白山羊ひつじのよしなしごと

2018.9.2sun 〜 9.9sun

9月2日(日)

四ツ谷へタンゴのワークショップへ。「初心者OKの練習会&ミロンガは貴重」というTwitter告知の一文が殺し文句となり、出掛ける。

人生初めてのタンゴ体験の人もいて、参考になる。初めての人も皆、堂々と踊っている。私には初めての事でも堂々とやるようなところが足りないんだろうな、と自分では思う。どうも心の中に「初心者はこう振る舞わなくては」という定型があり、そのように振る舞おうとしてしまう。例えば、「下手くそである事を常にすまなそうにしている」とか「おどおどする」とか。類型初心者のベタなパントマイムを演じる事がコミュニケーション方法だと思い込んでいるようだ。この癖は一体いつから自分に身に付いたのだろう。他人からの攻撃を避けるための「腹見せ」としてこれをやっていることはわかる。しかし、何をきっかけに自分がこの手の「腹見せ」を手段として、それを「有効だ」と認識し、あまり有効でない場面も多いと気付いてからも継続しているのか。すごく卑屈な動作だと自分でも思う。

 

主催側らしき女性も一緒に練習でリードをして踊ってくれた。女性リーダーは格好良い。そして踊り終わりにハグがつく。ハグが上手い。上手いハグは癒される。私は同性には安心して身を任せてしまう方なので、女性からハグされると幸せな気持ちになる。男性は家族を除くとどうも緊張して体がかたくなって疲れてしまう。リラックス出来るようになるといいな。

練習3回目にしてミロンガも出た。迷ったけど、主催者が私を下手くそだとわかってて参加していいと言ってくれているミロンガだし、これは貴重な機会だ流れに乗ってしまえと思って乗った。心優しい若い男性が踊りに誘ってくれた。私にあれこれ教えようとしない。両手を繋いで歩くだけのダンスだったけど、何も言わずに相手をしてくれた。練習時間は終わり。上手く踊れなくても、気を楽にして楽しく踊った。

タンゴ歴の長い上手な男性も一杯いて、そういう人が誘って下さって踊ってもらえると嬉しいのだけど、つい「こんな私で申し訳ない」と思ってしまうし、そう思いながら踊ると疲れる。

 

 

9月3日(月)

 Iゼミのユダヤ説話講座を受講。聖書解釈の技法の論理性にはいつも驚く。もっと周辺知識が頭にはいっていれば、同じ講座同じ時間から得るものも多いのだろうけどな。効率よく知識を入れていく方法がほしい。

講座後は恒例の飲み会。アメリカ南部紀行の話を聞く。

なんとなく「何故トランプ大統領は国内で支持を受けたか」という話題になる。この件については、「一面において、トランプ氏の教養を不要とする成金人生が、欧州的貴族社会から独立したアメリカ革命の流れの中にいる」という説(これも他の市民講座で聞いたのだけど)に私は説得力を感じている。現代の「身分」とは「教養の有無」に潜んでいるという見方。つまり、ヒラリー候補は教養の人であり、貴族身分とみなされた。教養のない人には教養のある者同士の特有の関わり方が耐え難いというもの。彼らの振る舞いから、教養のない者たちは疎外され、馬鹿にされていると感じるというもの。「バカで悪いか。これだけのパワー(金)を手に入れられるぞ」というのを体現しているのがトランプ氏。

この教養ある/ないの断絶は日本でも他人事ではないと思う。ただ、この「/」は、分厚い層を秘めているように思う。この「/」に類するひと(私は教養があるとは言えないが、教養を嫌いではないしむしろ好きだ)とはなんなのかという気もしている。

 

 

9月4日(火)

 アメリカのテレビドラマ「BrBa(Braking Bad/ブレイキング・バッド)」のファイナルシーズンを観る。夫婦で揃って観ていたり、1シーズンを終えるごとに休憩して別のDVDを観たりしていたために全編見終えるまでに何と3年半掛かった。

  50歳になったホワイト先生が悪の限りを尽くし、身の回りの人達を巻き込んで不幸にし、華麗に散っていくやりたい放題人生の話。私には上手く説明できないが、このドラマとホワイト先生の解説を読み、「家族を不幸にして自分も破滅して行く阿保」を単純に「阿保」と言えなくなった。ただ「阿保」と断じては断絶して終わってしまうなにかがあるのだね。ドラマだからホワイト先生は破滅して死ぬけど、現実では一線をこえずに踏みとどまってほしいし自分も踏み止まっていたい。

台風到来。西日本の台風災害が歴史的水準だった。

 

 

9月5日(水)

仕掛かりの原稿を納品。深夜まで掛かった。

 

 

9月6日(木)

  タンゴとカポエイラのレッスンの掛け持ち受講の日。

  タンゴもカポエイラも私は最低でも3ヶ月はスタートが遅い。そのクラスで一番始めたのが遅い生徒だ。それにしても私はステップを覚えるのが遅いなあ。言い換えると毎回完璧に左右逆に再現しているのか。

  この「覚えられない」には色々な理由があるらしい。心当たりのある理由はウェブで拾えたので、それ以外の私見を残す。

  日舞の時からそうだが、私は「踊りは不自然な事をするもの」「日常と違う動きをするもの」と思い込んでいるようだ。手足左右反対に出したり動かしたりしているという事は、自然かつ合理的な動きに逆らい続けているという事ではないか。

  日舞では首を右に傾けるか左に傾けるかをほぼ100%逆に間違い続けた。思いつく方向が常に逆という事は、何かを私は思い込んでいる。先生は「これはこっちの方向にあるものを見る動作です。逆から見ると不自然な動きになります。人の自然な動きでは、見づらい角度から物をみようとしないでしょう」と繰り返し仰っていた。

  確かミロンガで、ベテランのダンサーが「どっちの足を出すのか考えなくていいですよ」と仰った。相手がどっちの足を出すのか考えない。そして見ることもない。ど素人でもそれでも相手に合わせて動けるのなら、人の自然な無理のない動きのなかに踊りもあるはずだ。

  踊りの動きに慣れるまで練習してみる。

  踊り、を、自分の日常にしてみる。

 

  ああ、麗人道、こんなに険しいものだったのか……。「少しでいいので覚えましょう」の難しさよ。

 

9月7日(金)

 市民講座で『源氏物語』受講。今日から後期である。前期からの「橋姫」の続きを読んだ。

 この講義ほんっとうに面白いので、読書好きの人にはどんどん参加してほしい。場所が国立で都心から離れているので、アクセスの難しい人が多いのかもしれないが。

何が良いって、この講座を受講したら『源氏物語』を教材に現代の色んな文学を読む方法を学べると思う。毎回一文一文をかなり丁寧に読んで行くので、一語一語の意義に着目して読解する。先生は博士なので読解で詰まっても、読むための用例も凡例もどんどん引いて導いてくれる。

  私は相当にこの講座を推しているのでこれからも宣伝する。今期はタイミングを逃してしまったが、次は狙って宣伝に行く。

 

https://www.kuniken.org/course

 

 

9月8日(土)

  アーレント研究会の研究発表とシンポジウムを聴講しに、会場の中央大学後楽園キャンパスへ。学会的なものを聴講するのは2回目。流れがなんとなくわかって来た。

  しかし哲学の研究発表は最低限日本語訳の原書を読んである程度内容を把握出来てないと、議論の素材自体がわかってないのでその先の発展について行けない。もっというなら原書の引用なんて先生方にとっては高速で読み飛ばして論点に入りたい部分だろうから、ものすごく早口。アーレントやカントでこれをやられると素人は眠る以外に出来る事がない。というほど意識が遠のく事はなかったけど。今期はベンヤミン講座をとってしまったので、哲学講義に慣れておきたかった。ベンヤミンの話題も少し出ていた。なかなかいい事を言っているようだな、ベンヤミン。難しくて何言ってるかわからないが。

 

9月9日(日)

  疲労回復のために寝ていた。洗濯して掃除した。請求書も出したい。日が暮れてあまり汗がでなくなったら、カポエイラとタンゴと社交ダンスの練習をしようと思う。カポエイラの筋肉痛も引いて来た。レッスン中にちゃんと覚えられず、上手く出来なかったケイシャーダを決めたい。サンドバッグ欲しい。